覚え書き
最近ある信徒の方が「キリスト教の信仰生活に関する覚え書き」を送ってくださいました。吉祥寺キリスト集会という所からのものだと思います。吉祥寺キリスト集会はHPもありますのでよければ見てください。覚え書きの内容を書き写します。
キリスト集会のHPです。↓
ーーーーーーーーーーー
「主とともに生きよ」
主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目覚めていても、眠っていても、
主とともに生きるためです。(第一テサロニケ5:10)
あなたは今、困っていますか。生活に疲れていますか。
あなたの心は、つらい気持ちや悲しみで、
一杯ではありませんか。
しかし、イエス様は、あなたのそばに居て下さいます。
あなたに、生活の秘訣を教えましょう。
イエス様だけに目を注いで、今の、目の前の、一つ一つの仕事を感謝して行いなさい。
明日のことを考える必要はありません。
イエス様はあなたをこわさないように、
大切に抱いて、一日一日、
生きていくことに耐えさせてくださいます。
あなたは苦しみによって消耗されることはありません。
苦しみによって、成長していきます。
今日の、一瞬一瞬を、主と共に生きなさい。
ーーーーーーーーーーーーー
これが覚え書きの内容ですが正直厳しく取り付くしまのない印象を覚えましたが、神様がすべてを支配しておられるのであれば神のなさることに反抗や抗議をしても仕方がなくただ哀れみと助けを求め、祈りつつ平安をいただくように祈りもとめるしかないと、思いました。人間は神のみまえに小さな存在であり被造物なので、神に従い神を恐れることにしか、救いがないと思っています。
現実は毎日悪態を吐き散らす惨めな状態ですが人間を恐れるのではなく神を恐れることが重要なことだと思います。
ーーーーーーーーーーーーーー
人間はみな罪人であり、イエスキリストの十字架による購いを信じて心に受け入れることにしか救いがなく他の方法で救われることはない、イエスキリストの購いを拒んだり否定したり侮る人間は結局は裁きにあうだけである、今は世の終わりが近いと思われ人間にできうる最善のことは神のみまえにひれ伏してあわれみを乞い、購っていただき永遠の命を勝ち取ることであると思います。
聖書には「世に勝つ者とは誰でしょう、イエスを神の子と信じる者ではありませんか」とあります。悪を行う者は悪魔から出た者であるというみ言葉がありますが、悪魔ははじめから偽りであり絶望しかない存在であり人間をだまして地獄行きにさせることが目的である、悪魔の手下になっているような人間は絶望と滅び(永遠の刑罰)に向かっているのである。ということを、最近になりようやく認識しました。
以下に関連のみことばをコピペします。
ーーーーーーーーーーーーー
ヨハネの黙示録22章
ーーーーーーーーーーーーーー
以下は「盗人」で検索した箇所ですが「主の日」がやってくるという事は最近ようやく信じるようになりました。(つまりイエスキリストの再臨のことです)
ーーーーーーーーーーーーー
| 固定リンク


コメント
こんにちは。
今日ブログを更新しました。というのも被害状況が同じなのかどうか、確かめたかったからです。
よかったら見て頂けると助かります。
(ストーカーの部分)
このイエス様への信仰文、見たことがあります。D.カーネギーの「道は開ける」だったかな。
苦しい立場の人がどのように神と出会ったり、悩みを克服したのかという証が書いてあり、一時期は非常に参考になりました。
投稿: A | 2008年12月14日 (日) 02時06分
コメントをありがとうございます。
D.カーネギーの「道は開ける」ですか、その本は過去にやはり統合失調症扱いの女性が文通の時に送ってくださいました。私は正直人間の悟りのような事が書かれている気がして読む気になれませんでした。聖書にしか、本当の救いも真実もないと確信したからです。キリストの教えは出てくるのですがやはりその本では真の救いはないのでは、と思わされました。キリストの教えは真の命を得るためのものなのでこの世での迫害はあることをはっきり述べているので、厳しい内容だと思うのですがそれゆえに殉教した方が多いのかと思いました。この世は一時的なものですが死後は永遠でありその行き先を真に憂慮するべきであると思います。
あと、ブログを見せていただきましたが詳細に書いてありますね。私も加害者らの織り成す神経症的にさせるような工作に苦しみ何度も発狂(つまり悪態を吐き散らすことですが)させられたのですが今は加害者らは所詮は脳や精神の重篤な病気だと思うしかない気がしています。
投稿: 鍋蓋 | 2008年12月16日 (火) 12時51分
こんにちは。
既にD.カーネギーをご存知なのですね。文章や内容の好みは人によって違うのですし人間の書いたものですから、救いではありませんが私には印象に残りました。絶望から死を考えた女性がふと、聖句や賛美歌を聞いて、状況を乗り越えようと決意した話に感動しましたね。 教会では、そのような証は聞けないから、自分だけの苦しみではないのだと励みになりました。
人は死後を考えますね。
私は今では、自分の死後云々にかかわらず、その人達が行った罪は、同じようにその人達の子供や孫にあらわれていくのだと思うと、深い憂慮を覚えてしまいます。
私のブログを読んでくださってありがとうございます。今はあまり発狂されることがないとの事、よかったですね。
もうすぐクリスマス、
鍋蓋様にいい事がたくさんありますように祈っております。
投稿: A | 2008年12月16日 (火) 19時40分
いや、「D.カーネギー」についてとくには知りませんが、昔読み漁っていた心理学者の著書によく出てきた名前だとは思いました。ちなみにその心理学の著者もですね、やはりメデイア加害者の一人でしかない・・・と言うことを、新聞のコラムで知りました。
投稿: 鍋蓋 | 2008年12月20日 (土) 14時29分