http://members2.jcom.home.ne.jp/0429550701/std/msg/2003/030622-1msg.htm
http://www.worldchallenge.org/ja/node/2862
「サタンの深み サタン 力 策略」で検索すると、サタンについての聖書的な解説が多く載せられていました。上のサイトもそうですので、良ければ読んでみてください。
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私自身も毎日毎日、サタン的な知恵に満たされたような嫌がらせがすごい状態です。
自己の恥ずかしい過去を陰湿に仄めかされたり、自分がいかに恥ずかしく無自覚で勘違いな存在かということをいろいろな手法にて、タイミングあわせなどの方法で演出します。(茶番、広告、悪態や挑発的な言葉、または思わせぶりな言葉による、反応呼び起こし)
それほどまでに軽蔑すべき存在と思うならば一日中異常な干渉もないだろうとは思いますが彼らはそのような異常行為を巧妙に正当化するための知恵を駆使しているようですね。
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ちなみに今時分執拗にされている仄めかしは「あ」というキーワード(?)と、鼻の下が見苦しく写っている顔の写真広告などです。前者は過去の雑誌への投稿で下劣な意味合いのある絵をハガキに模写して送ってしまった事からです。性的な意味合いのある絵の模写ですがそれの絵にある台詞が「あ」なのです、これが恥ずかしさのきわみの意味合いで嫌がらせに利用されています。テレビでもしょっちゅう聞こえてきているようです。
後は過去に状況把握できず監視状態に苦しみジャパニーズポップスの世界に逃げ込んだ結果その歌が官能的な歌詞でしてそれが外出時に頭の中で回り、結果的に鼻の下が伸びた状態を盗撮され、翌日からすさまじいメデイアからの嘲弄的な嫌がらせが始まったようです。そういう醜態というか痴態を捉える為、自分へのお為ごかし的な官能的な歌や漫画、ドラマ等を散々流していたようでした。当時はネット情報など知らなかったために「自分だけがこういう変な目にあっているのだろうか」と思い込んでいました。
当時聖書を与えられながら読もうとしないで安易にメデイアのものに逃避し、苦しみを紛らわしていた結果でした。聖書が堅苦しくて難しい書物にしか思えず、攻撃されているにもかかわらずメデイアにへつらいつつそれに中途半端に依存するしかない状態でした。
しかしあるときにそれが闇と欺きしかない世界だと気がつき、聖書に救いを求めることになりました。私の場合はそういう経緯がありました。このことは今までかなりネット上で書いたのですが無意味かもしれないですがまた書かせていただきました。
「あ」という仄めかしの元のものは週刊漫画アクションという雑誌に連載されていた「百年の祭り」という漫画で、作者は「たかもちげん」という方ですが、この方は調べたら数年前にがんで死去していたようでした。投稿していた期日は当時1994、5年ころです。96年に車による付き纏いが悪化し、不快と不可解さよりヒステリーを起こし、精神科に追い込まれることとなりました。ネットによる集スト情報を見たのは2006年ころです。それまでは10年間ほど暗闇をさまよい、せっかく与えられた聖書の言葉も分からず、かなり愚かしい生活ぶりでした。
今は聖書にしか救いがないことを確信するようになりましたが加害者は毎日飽きずに同じやり方でこちらを攻撃し続け、「あ」というキーワードもあらゆる方法で連呼しています。
しかしキリスト教を信じるようにされたのは、別に聖人ぶるための宗教でもなく自己満足でもなくただ、「キリストによるあがないを信じて受け入れない場合、裁きに会うだけである」という事実を信じるようになったからです。
そのことを認識するまでは私も、教会の人たちへの無自覚な迫害をしていました。ある種の僻みや劣等意識や妬みより、彼らクリスチャンのあら探しをしたり、虚をつこうとしたり、足許をすくおうとしてばかりいたり、「偽善者」だということを確認しようと画策したり、彼らに対して世的な事ばかり話してそれにそれに引き込もうとしたり、いろいろでした。
それは多分劣等意識からだとか、聖書を理解できそうもない絶望感からだとか、神への漠然とした絶望意識からだとか、自分への絶望からだとか、いろいろとあります。
しかし聖書を必死に読むようになって意外な言葉に驚いたり救いや慰めを覚えるようになったしだいです。無論今までの私の愚かしさを知る教会関係者からは蔑まれたり疎外的な対応をされたりと思うことは多かったです。今もそれはあまり変わらないかもしれません。しかしクリスチャンというのは基本的に、人間がいかに絶望や愚かしさや罪しかない存在でしかないかということを知り、その上で神に従おうとしている集団だという認識をしました。
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ちなみに今、他の嫌がらせの内容は咳払いですね。「おほん」「げほん」「あはん」「ぐふん」と、主に男性がやっています。女性加害者らはベビーカー連れや子連れの自転車乗りや、孤独な女性を演出したような扮装による嫌がらせの茶番が多いようです。タイミングあわせで実に巧妙に近づいてきますので、いったいどこでそういう訓練?をするのだろうかと、不可解です。どこの地域に行っても同じパターンでの嫌がらせがありますので、「どこの地域にもいるのだな(被害者は)」という事が分かります。
本日は用足しで府中市に行き帰りに少し駅間を歩いたらば、昼間でもシャッター閉めっぱなしの家、店を見ました。後は神社の管理人宅の雨戸も閉めっぱなしでした。こういう状態になっている神社を今までに3箇所ほど見ています。「物を置かないで、宮に入らないで下さい」という張り紙があるところも2箇所見ました。もう一箇所の張り紙の内容は「ごみを置き捨てないで下さい」でした。
ジュースの販売機のビン、缶用のボックス内も、他のごみが入っていて荒らされている印象を受けるところもありました。自分の住む家の周辺地域も、何故か変に荒れ果てた印象を受け、知りもしないサラリーマンなどがすれ違いざまに威嚇的な咳払いをしていました。以前夜の時間帯に府中の駅近くを歩いたときはもっとすごい状況でした。調布の駅付近でも同じでした。サラリーマンで軽薄に加担する人は多いみたいです。
通う精神科でもスタッフに当たり前のように嫌がらせをされます。昨日の外来時にはすれ違いざまに「見ている」と言うスタッフがいました。偶然を装ってつぶやくように言うため、ストレスを与えるように工夫しているように思います。
加害者らはどうも、監視状態を続けるのが当たり前で自分達への被害者の反逆や反撃には徹底した報復行為をせねば気がすまないみたいです。
一昨日は、もっとひどいことがあり、自転車乗りで近づいてきた柄の悪い数人を嫌そうに見やるとその一人が威嚇する様に「何だこのババア」と、罵っていました。私もさすがに憤り言い返したのですがその相手は「何だ、てめえ、こらあ」などの威嚇的言葉を発して去ったようです。いくらなんでもあれはひどいなと絶望ししばらくうつ状態でした。
人の生活を始終のぞき続けて機械による異常粘着嫌がらせをし続ける人間達ですので、常識等ないのでしょうか。
もっと以前には小型犬を散歩中放し飼いにしている中年男性につい、普段の嫌がらせの憤りより注意するとその男性も、「何だこの馬鹿が」と、すごんできました。そして、その後も「おいこら、待てこの野郎」と言っていたようです。私も嫌がらせによるイライラより、いろいろと言い返してしまったのですが地域にそういった暴力的な言葉で攻撃してくる人間も結構いるようです。
他にはそれより前に、家の前でぶつかりそうになった自転車の男性に「危ねえだろうが、この馬鹿が」などとも言われたのです。私も何か言ったと思いますがとにかくヤクザ調のもの言いを平気でしてくるような加害者に何度か遭遇しそのたびに暗い絶望に陥っています。
それでも祈りつつ暮らしていますが聖書にあるように自己の知恵に頼ることはやめようと思います。それはずっと前より望むことですが実行するのは難しいと思わされています。
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ちなみに親が今は通常見るようになったテレビからも、音声による嫌がらせと同じ調子での陰湿で陰惨な嘲笑を聞かされることがあるようです。「きひゃひゃ」「ひひゃひゃ」などといった感じの甲高くて聞き取りづらい笑い声です。このようにすることでストレスや恥辱を効果的に与えるのかもしれません。
「あ」と言う声は、主に親子連れの親が幼児の声を使って聞かせてきているようです。幼児のねとついた感じの声で「あ」と言っているのですがかなりの不快感や苦痛を覚えています。
少し前にはネットの店付近で、自転車乗りの後部座席にいた幼児がこちらをぐるりと振り返り、じーっと見てくると言う事柄にも会いました。親が子にそういう演技をしつけているのだろうかと思いました。それと同じように、こちらが相手を知らぬのにいかにもこちらを胡散臭い人物みたく故意に目をやってくる人間も多く見るようになっています。
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