メッセージのコピペです
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ホームページ・メッセージ080928 小 石 泉
基礎をしっかり
最近、色々な教会のクリスチャンの悩みを聞くことが多いのですが、そのたびに思うことは、あまりにも信仰の基礎がいい加減だと言うことです。救いの確信を持っていないのに、高度な問題に頭を突っ込もうとします。聖書も通読していないのに、神学校で学びたいと言います。(ただし例外はあります。ハワイですばらしい働きをしておられる、ウエイン・コデーロ師は、神学校に入ったとき、ギデオン協会の新約聖書しか持たず、旧約聖書のあることすら知らなかったと言っていますから。)
まるでセスナの操縦の訓練中に戦闘機や旅客機の操縦をしたがるみたいです。また、聖書信仰の基礎をしっかり学んでいないのに、奇跡やしるしを追い求めます。
アメリカの教会や“リバイバル”集会はラスベガスのマジックショーやロックフェスティバルのようです。日本のある教会の信徒と話したとき、そこの教会ではトッド・ベントレーを高く評価しているということでした。私が「あれは危険だ」と言うと「でも、奇跡や癒しが一杯起きているではないですか」と言いました。奇跡や癒しがあれば何でもかまわないのでしょうか。確かにイエス様は次のように言われています。
もしわたしが、わたしの父のみわざを行なっていないのなら、わたしを信じないでいなさい。しかし、もし行なっているなら、たといわたしの言うことが信じられなくても、わざを信用しなさい。それは、父がわたしにおられ、わたしが父にいることを、あなたがたが悟り、また知るためです。ヨハネ10:38~38
イエス様の言葉は何千年もの信仰の基礎を築かれたユダヤ人に向けて語られています。
しかし、イエスは答えて、「わたしは、イスラエルの家の滅びた羊以外のところには遣わされていません。」と言われた。マタイ15:24
それは、神の国のことは信仰の訓練を受けた人々から伝えられなければ、誤って伝えられることがあるからです。他の民族の場合、どうしても長年の偶像崇拝や悪霊礼拝の宗教的な影響を受けやすいのです。確かに、イスラエルは主イエスを拒みました、しかし、イエスの福音を間違いなく書き記し、キリスト教の基礎を築いたのはイスラエル・ユダヤ人です。そして、選ばれた使徒たちは数千年の基礎の上に3年半主イエスと行動を共にして訓練を受けました。使徒パウロも救われて後に、数年間、一人でアラビヤに行って深く神と接して、それから働きを始めています。
私が多くのクリスチャンと接して感じるのは、救いの明確な経験がないか、あってもはっきりした理論付けが無いのです。特にペンテコスト派は体験を重んじるので、救いについての確実な理解がないままで育っています。次のことが明確になっていなければなりません。
1.救いは主イエスの十字架によってだけ与えられるもので、人間には全く起因しない。
2.救いは“感じる”ものではなく、聖書の御言葉によって証明されるものである。
3.救われた人がクリスチャンで無くなることはない。もしそうなったら、それは救われてい なかったのです。
4.洗礼は救われた人が受けるもので、洗礼を受けたから救われるわけではない。
5.クリスチャンになったからと言って、すぐに清くなるわけではない。キリストを通して清 いと認められるだけです。救いに関してはローマ人への手紙が最も重要です。
しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて、現された。それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。ローマ3:21~24
律法はユダヤ人が救いの基礎と考えていたものですが、パウロは、それがキリストの贖いのための基礎だったといっています。ユダヤ人も異邦人も等しくキリストを信じる信仰によってだけ救われるのです。
今、欧米諸国では別の問題が起こっています。日本のように神の明確な知識がない国ではなく、すでに数百年のキリスト教信仰によって培われてきた国々で、信仰からの離反、不信仰がはびこっています。それは、やはり救いの明白な理解がないからです。実は、私には何となく分かるのです。なぜキリスト教国の若者たちが信仰から離れていくのか。
私はクリスチャン・ホームに生まれました。幼いころから父や母の信仰を見て育ちました。集会や教会にもほとんどかかさず出席しました。しかし、高校生になったころから救いが分からなくなりました。私は救われているのだろうか。私は激しく悩みました。そしてその悩みは20歳ぐらいまで続きました。東京に出てきて、色々な教会や大会に出て、決心するのですが、どうしても明確な救いの経験が出来ないのです。神を信じていました。キリストの十字架の贖いも理解していました。洗礼も受けました。しかし、救われたと言う実感がなかったのです。周りの人々は「君は、もう、救われているんだよ」と言ってくれるのですが、自分は納得できないのです。
ある、夏の日、ある教会のサマーキャンプで真鶴岬に行きました。そこでも私は悩んでいました。夜、岬の突端の岩の上で、「神様救ってください!」叫んでいました。しかし、答えはありませんでした。東京に帰って、会社の寮の一室でふとある信仰書を読んでいました。するとそこに「キリストがやってしまった救い」と書いてありました。えー、やってしまった? なんで、過去完了形で書いてあるのだろう。私は今、救いを求めて必死になっているのに。そのために私の青春は真っ暗闇だったのに。やってしまった・・・?
その時でした。私は、はっきりと分かったのです。そうか! 2000年前にイエス様が私の為に十字架にお掛かりになり、私の身代わりとして罪の罰を受けてくださったのだ! だから私はもう救われているんだ! 私の救いは2000年前に終わっているんだ! その日から、私の長い暗闇は去りました。私は救いを確信しました。
私は思います。クリスチャンホームに育った人でも、キリスト教国でキリスト教の環境に囲まれている人でも、このように明確な救いの理解が出来ないのではないだろうかと。私のような、数年間の長いトンネルを通らないで、表面的な理解だけで救われたと勘違いしている人々が多いのではないでしょうか。今、思い出しても、あの不安感、闇の深さをもう一度経験したくありません。しかし、それなくしては、私の天の国籍は与えられなかったでしょう。
私は、あなたにお聞きします。あなたは救われていますか? はっきりとそう言えますか? どこにその保障はありますか?
すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。ローマ10:9
この御言葉はあなたの言葉となっていますか? もしそうなら、感謝しましょう。次のように書かれていますから。
神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。それは、御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであった。そして、あらかじめ定めた者たちを更に召し、召した者たちを更に義とし、義とした者たちには、更に栄光を与えて下さったのである。
それでは、これらの事について、なんと言おうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。
だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのか。神は彼らを義とされるのである。だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。
「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている」と書いてあるとおりである。しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。
わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。ローマ8:28~39
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NO.615悪魔を父とするクリスチャン(2)
”テキスト:ヨハネ8:40 ところが今あなたがたは、神から聞いた真理をあなたがたに話しているこのわたしを、殺そうとしています。アブラハムはそのようなことはしなかったのです。
41 あなたがたは、あなたがたの父のわざを行なっています。」彼らは言った。「私たちは不品行によって生まれた者ではありません。私たちにはひとりの父、神があります。」
42 イエスは言われた。「神がもしあなたがたの父であるなら、あなたがたはわたしを愛するはずです。なぜなら、わたしは神から出て来てここにいるからです。わたしは自分で来たのではなく、神がわたしを遣わしたのです。
43 あなたがたは、なぜわたしの話していることがわからないのでしょう。それは、あなたがたがわたしのことばに耳を傾けることができないからです。
44 あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。
45 しかし、このわたしは真理を話しているために、あなたがたはわたしを信じません。
46 あなたがたのうちだれか、わたしに罪があると責める者がいますか。わたしが真理を話しているなら、なぜわたしを信じないのですか。
47 神から出た者は、神のことばに聞き従います。ですから、あなたがたが聞き従わないのは、あなたがたが神から出た者でないからです。」
48 ユダヤ人たちは答えて、イエスに言った。「私たちが、あなたはサマリヤ人で、悪霊につかれていると言うのは当然ではありませんか。」”
本日は、「悪魔を父とするクリスチャン(2)」として、この件をさらに見ていきたいと思います。
”40 ところが今あなたがたは、神から聞いた真理をあなたがたに話しているこのわたしを、殺そうとしています。アブラハムはそのようなことはしなかったのです。”
この悪魔を父とするクリスチャン達の特徴がここに書かれています。
それは、他でもない真理を語る方、神からの方、キリストを亡きものとするということです。
残念ながら、この類いのクリスチャンは日本にもたくさんいます。
すなわち、真理の方であり、真実の方であるイエスを嘘つき呼ばわりし、
悪評を立て、亡きものとすることに精をだすクリスチャンです。
史的イエス、ユダの福音書、ダビンチコードなどに賛成し、キリストは実は十字架にかかっていない、
復活もしていない、要するに嘘つきであると語る人々がそれです。
日本の多くの神学校、ミッション系学校の神学部は、この類いの嘘を喜々として語っています。
ですからこの手の学校は、「悪魔を父とするクリスチャン養成所」みたいなものなのでしょう。
高いお金を払ってこんなとこに献身者を入学させるのは考えもの、というより、全く愚かな
行為です。
「アブラハムはそのようなことはしなかったのです」
アブラハムはそのようなことをしなかったので、その子孫である、
イスラエル人はキリスト殺しにかかわるべきではありません。
同じく霊的イスラエルである今の時代のクリスチャンもそうすべきではないのです。
ですからキリストを嘘つき呼ばわりする行い、近代神学、自由神学などを標榜する輩は、
真の意味では、アブラハムの子孫、霊的 イスラエルと呼ばれる資格の
ない人々です。彼らの正しい名前は悪魔を父とする人々です。
”41 あなたがたは、あなたがたの父のわざを行なっています。」彼らは言った。「私たちは不品行によって生まれた者ではありません。私たちにはひとりの父、神があります。」”
イエスはこれらのクリスチャンは、実は彼らの父すなわち、悪魔のわざを行っているのであると語りました。
ですから、クリスチャンと名があっても悪魔のわざを行うことはあり得るのです。
何故なら、まさにキリストがそう言っているからです。
そしてそのように考えると今迄理解不能だった、ある種のクリスチャンの言動も理解できます。
何故、ある種のクリスチャンは、わざわざ信仰を覆す様なことを語るのでしょうか?
いわく、棄教することがあたかも神に喜ばれる様なことを書く、カソリック作家、
はたまた、ヒンズー教徒はヒンズー教徒のまま死ぬべきである、すなわち、唯一の救い主、
キリストを受け入れる必要はないと語る、某カソリックシスター:
彼らの父は真の神ではないのかもしれません。
”42 イエスは言われた。「神がもしあなたがたの父であるなら、あなたがたはわたしを愛するはずです。なぜなら、わたしは神から出て来てここにいるからです。わたしは自分で来たのではなく、神がわたしを遣わしたのです。”
「神がもしあなたがたの父であるなら、あなたがたはわたしを愛するはずです。」と
書かれています。事実、真に父なる神を父とするクリスチャンはキリストを愛します。
しかし、そうでないもの、
悪魔から出たものの特徴はキリストを憎むことであることがわかります。
このもっとも典型的な例は、キリストを憎み、あらゆる罵詈雑言を吐く、タルムード主義者、
偽ユダヤ人です。
キリスト教界に潜り込み、すぐ、
正体がばれて、大恥をかく愚かものののことです。
これらの者は、実際はクリスチャンではないのですが、
しかし、実際、自分はクリスチャンであると思い込んでいる、しかし、悪魔を父とする
人々がいます。
すなわち、キリストの復活はなかった、奇跡はなかった、すなわち、キリストはただの嘘つき、ほら吹き、
誇大妄想であると語る人々です。日本の多くの神学校にばっこする、背教者の面々です。
彼らは、この様にして、キリストを否定し、憎み、悪評を浴びせるのは、勿論、
キリストを憎んでいるからです。そして、キリストを憎むものは上記、
みことばによれば、悪魔を父とする人々なのです。
ですから、私はみことばに沿って、
はっきりとしたことをいいます。
残念ながら、日本の神学校、ミッションスクールは、悪魔を父とする人々によりいつの間にか、占領されてしまいました。これらの学校に通わせることにより、しっかりした信仰を持った、若い信仰者の
信仰を覆す愚はさけるべきです。
”
43 あなたがたは、なぜわたしの話していることがわからないのでしょう。それは、あなたがたがわたしのことばに耳を傾けることができないからです。”
何故これらの冒涜教師どもが再臨はない、復活はないなどとのヨタ教理を一生賢明語るかと言うと、
彼らはキリストのことばが理解できない、わからないからなのです。
それは、何故かと言うと、「あなたがたがわたしのことばに耳を傾けることができないからです。」
悪魔を父とする者、冒涜教師どもは、聖書を読んでもそのことばに耳を傾けることができない、そのために、ユダの福音書は真実だののヨタ話にひかれていくのです。
”44 あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。”
何故、これらの背教新学者、ゲヘナ行き確定の愚かな教師どもは、
わざわざキリスト教の神学校にまで入り込み、嘘神学、ヨタ神学を語り、
多くの若いクリスチャンの信仰を覆しているのでしょうか?
その理由がここに書かれています。
それは、彼らが、「父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。」
悪魔の欲望は一人でも多くの純粋な信仰者を覆し、ひっくり返すことであり、
それを、彼らは神学校やら、 ミッションスクールを通して、実現しているのです。
「悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。」
これらのヨタ神学の毒にあたって、信仰が覆されるとどうなるでしょう?
当然ながら、永遠の命が危ないのです。始めからの人殺し、悪魔の
願いがかなってしまうのです。
”彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。”
何故、悪魔を父とする人々がばっこする神学校には、嘘、偽り、虚偽で固めたような、
ヨタ神学が次から次へとあらわれるのでしょう。
キリスト教はユダヤ教の一派に過ぎないとする死海文書をもとにした偽りだの、
終末論を否定する環境神学だの、女権を主張して聖書かいざんを主張するフェミニズム神学だの、
あきもせず、浅薄な嘘話が多く、それからそんな薄っぺらい嘘にすぐ同調する、
阿呆たれ神学者が多すぎます。
その理由がこのみことばであり、嘘、偽りは悪魔の特徴だからなのです。
だから、悪魔を父とする背教教師どもの巣窟、冒涜神学校においては、次から次へと
嘘教理が繰り出されるのです。こんなとこへわざわざ何年も通って、永遠の命を失う
愚か者になってはいけません。
”
45 しかし、このわたしは真理を話しているために、あなたがたはわたしを信じません。”
悪魔を父とする者は偽り者を父としているわけであり、結果として、真理である、
キリストを信じません。
ですから、真理であるキリストの教えを曲解し、偽りとする者はみな、
悪魔を父とするものである可能性があります。
キリストへの忠誠を変えて、マリヤへと導くローマ法皇などは、この類い、
悪魔を父とする人なのでしょう。
”46 あなたがたのうちだれか、わたしに罪があると責める者がいますか。わたしが真理を話しているなら、なぜわたしを信じないのですか。
47 神から出た者は、神のことばに聞き従います。ですから、あなたがたが聞き従わないのは、あなたがたが神から出た者でないからです。」”
キリストは真理の方であり、そのことばに聞き従わないものは、「神から出た者でないから」なのです。
神から出ていなければどこから出たかと言うと悪魔から出ているのです。
ですから、神のことば、キリストのことばに逆らい、聞き従わず、逆に
入れ墨OK, 不良OKの牧師は、悪魔から出ていることになります。
”48 ユダヤ人たちは答えて、イエスに言った。「私たちが、あなたはサマリヤ人で、悪霊につかれていると言うのは当然ではありませんか。”
彼らはイエスをサマリヤ人、悪霊つきといいました。
もちろん、イエスはサマリヤ人でも悪霊つきでもないのですが、しかし、
サマリヤ人、悪霊つきとは、興味深い表現です。
サマリヤは北イスラエルの首都であり、北イスラエルは、私の理解では、カソリックの予表です。
ですから、カソリックは悪霊つきであるとここでは語られているのです。
実際、カソリックと悪霊とは大いに関係があります。
よくある血の涙を流すマリヤ像なんていうのは、はっきりいって、悪霊現象です。
また、カソリック教徒のいう、秘儀だの、しるしだの奇跡だのは、みな、悪霊からのものが
多いようです。
また、変な霊現象を経験するカソリック教徒も多いようです。マリヤが現れた、
キリストが現れたからといって、安心はできません。サタンも光の天使に偽装すると書いてあるからです。
さて、まとめますが、明らかにこのテキストが語ることはイエスを信じる、クリスチャンであると語りながら、なおかつ、悪魔を父とすることはあり得る:このことと思われます。
従って、誰でもいったん、クリスチャンと呼ばれるようになったら、決して悪魔を父とすることがない:
などとの考えは全く間違えであるといえます。まことに命、永遠の命に至る門は狭く、その道も狭いのです。
しかし、私達はこの門をめざし、この道をめざしましょう。
終末における主のみこころを行いましょう。
ー以上ー
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/6810/
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以上の二つのサイトからメッセージを何時もコピペしているのですが今回は二つまとめてのせてしまいすみません。
正直「エレミヤの部屋」のメッセージは難解な感じがしますが私が今のところ苦悩しているのは「主への従順、そして忍耐が与えられたい」「悪には疎くなりたい、幼子になりたい」という希望です。悪にさとくなったところでろくなことがないからです。
しかし悲惨すぎるような被害は吹聴したくなります。加害者らは超むかつく人種なので宣伝しまくりたくなりますね。
しかし幾ら認知活動じみたことをしようがどうせ全ては神の御心どおりにしかなりえないと思うと自分の悟りや判断などあてにしても無意味だと思います。
神は真実であり正しく裁いてくださることを信じて神の愛のうちにとどまりたいところです。
加害者らは信じがたいいやらしさを発揮しまくりですが。苦悩しています。
あいつらってマジであほじゃないかと思うし、死にたいし死ねないしマジでむかついて殺したいですね本当に、と言うのが率直な感想ですが何故にああいう自己統制のない基地外が罷り通るのでしょうか。何時まででしょうかね。
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