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始めにおられた方(メッセージのコピペです)

No. 593 はじめにおられた方

”テキスト:ヨハネ1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
2 この方は、初めに神とともにおられた。
3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
10 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。”

本日は「はじめにおられた方」としてメッセージしたいと思います。
イエスキリストという方はどういう方であるのか、どう聖書は語っているのかを見たいと思います。
テキストに沿って見ます。


”テキスト:ヨハネ1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。


聖書がキリストに関していっていることは、いきなり結論からいえば、神であると
語っているのです。
ただ奥ゆかしい表現なので、そういう気のない人、キリストを神だとは、認めたくない人には一見
わかりずらい方法で書かれています。だが、求める人、真理を求める心のある人は理解できるように
なっています。

ここでは、キリストをことばとして表現しています。
ですから、私達がキリストのことばをどう扱うかどうかは大きなポイントであることがわかります。
キリストのことばを信じ、受け入れないことは、神を信じないことに通じるのです。
聖書はキリストの絵やら、像やら、イコン等に重きをおかず、神とはいわず、しかし、
ことばに関して「ことばは神である」と語ったのです。いかに我々がキリストのことばを
扱うべきかがわかります。

キリストの像は拝むが、しかし、キリストのことばをすりかえたり、勝手に
改ざんする人々は、神を冒涜する人であることがわかるのです。

「初めに、ことばがあった」

初めに(in the begining)とのことばは、創世記の「初めに神は天と地とを創造された」とのことばと
対応しており、キリストの存在が神のわざに対応して書かれているのです。
要はキリストは神であるとこの箇所はかたっているのです。

初めにとは時間的なことをさす表現です。
世界の全てのものは時間的な区分から見るなら、以下の2つのどちらかにわけられます。
1. 初めから存在するもの
2.途中から存在するようになったもの

1は創造者、神であり、2は被造物です。
そして、キリストは1創造者であるということがこの箇所の主旨なのです。
このことをわかりやすくいうとこんな表現になるでしょうか。

大きなラーメン屋には、たくさんの働く人がいるが、
しかし、その入社(入店)年度からいうと以下の
2つに分かれる;
1. 創業時からいる人
2. 途中入社(入店)した人
この店は創業社長が一人で屋台をひっぱって始めた会社なので、
はじめからいたのは、社長のみ。後は皆、途中入社(入店)の社員なのです。

同じ意味合いで世界には天使やら、人間やら、動物やら色々な存在がありますが、
時間的な区分をするとたった二つ、初めから存在するものと後から存在するものとに
分かれます。そして、キリストはその前者、初めから存在するものである、すなわち、神である、それが
この節の主旨なのです。

「ことばは神とともにあった。ことばは神であった」

ここで明確にことばすなわち、キリストは神であることが書かれています。時々、
聖書に、キリストが神であるなどと、書いていないという人がいます。そんな間違えたことを言う
その理由は、ろくに聖書を読んでいないからです。この箇所も明確に
キリストが神であると聖書が語る箇所です。

”2 この方は、初めに神とともにおられた。”

ここでもキリストが途中から存在する様になったものではなく、世界の初めから神とともに
居られた方であることが書かれています。
初めから存在するものは世界の全てを造られた方、すなわち、神しかいないのです。
ここでの主旨もキリストは神であるということにあります。


3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。”

さて、今迄の時間的な表現と異なり、ここでは、別の区分が描かれています。
すなわち、造るもの、造られたものという区分です。

世界の全ては以下の2つに区分されます。
1. 造るもの(造物主)
2.造られたもの(被造物)

造物主は神お一人であり、それ以外の全ての存在は、
みな造られたものになります。
人も動物も天使もみな造られたものなのです。
造る方は一人であり、それは神のみなのです。
「すべてのものは、この方によって造られた」と聖書がキリストについて書く時、
その主旨はキリストが神御自身であるということです。
この区分、造るもの、造られるものという区分においてもキリストは明らかに
神なのです。




10 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。”

「この方はもとから世におられ」とはキリストは途中から存在しだしたものではないということを
語っているのです。繰り返すようですが、時間的な区分からいえば、
たった2つの区分しかなく、その中でキリストは初めから居られる方なのです。

「世はこの方によって造られたのに」との表現も繰り返しです。
キリストが創造者であると語っているのです。

「世はこの方を知らなかった」

ここではよく考えると驚くべきことが書かれています。
すなわち、初めから居られ、また全てのものの創造主である方がいるのに、
この世はこの方を知らなかったということが書かれているのです。
とんでもない無知もしくはとんでもない冒涜、そう言えるでしょうか。

非常に不思議なことですが、今の世においては、
どうでも良いことばかり大袈裟に宣伝され、本当に大事なことは大きな声で語られなかったり、
強調されなかったりするのです。

まとめますが、このヨハネ一章の大きな主題は、キリストが神であること、そのことであるように
思えます。私が見た限りこのことは間違えのないような方法で、理解できるように語られているのですが、悲しいかな、それでも間違える人々がおり、誤解するクリスチャンがいるのです。
キリストは神でないなんていう、等身大のあほどもです。

彼らには「弁解の余地はない」、このことを知りましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー

ーーーーーーーーーーーーーーー
キリストは神であるが何故か知りませんがメディアにおいてはかなり歪曲して表現されており私もそれを用いた嫌がらせがあり信仰に躓きと言うほどではないにしても自ら恥辱を負い信仰の目が開かれた後でも毎日毎日超嘲弄責めにあい過去の咎から来るのかと思ってもどうにもならず自己の忌まわしい性質のために苦しむのかと思ったり加害者のメンタリティー押し付けに過ぎないかと思ったりいろいろですがどうも聖書の神様は謙虚なためか偶像の神に比べるとかなり貶めに遭っていたり侮りにあっていたりするように思えます。
否定されるし人間と同じに言われたり誕生日を祭り騒ぎに使われるし死刑にされた道具をアクセサリにされたりするし赤ん坊の姿を菓子に見立てたりされるし(これは神を敬うという意味ですが)教え自体が性的貶めに遭うし真理のイメージを貶めるためかいろいろと体良く卑しめられたり異端カルトが出て来て偏見のイメージを造られたり新興宗教に取り入れられたり結婚式にだけ礼拝堂の形式を用いられたり偶像礼拝に狂う民に悩まされたりと、
数え切れないような侮りにあわれているような気がします。

聖書には「神は宣教の愚かさを通して信じる者を救おうと定められた」とありますがこれは正しく宣教はおろかな物に映ると言うことは神は知られていたと言うことですね。
つまり体裁や恰好や外見に惑わされないで謙って神を信じる者を救うわけですね。
私などは洗脳虐めのためか体裁や恰好や外見に異常に固執するような者になったのでこの度虐め犯罪に関してかなり苦悩しました。
虚栄心や見た目に固執するのは楽ではなく苦渋に満ちていますので、加害者らの行為を通じて何か学べばいいのだろうか。

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